精神科の問題点3
医師は精神疾患を患った事がない人々だ。少数、鬱などを患った人を知っているが、大半の医師は精神疾患の辛さを知らない。
また、薬剤がどう効いてくるのか、どういう経験を患者がするのか、知らない。
想像はすれど、実際の体験とはほど遠い。
断言できるには理由がある。例えばアカシジアという薬剤性症状だ。鎮座不能症という。そわそわして座っていられないのだ。酷いと一日中歩き回り、夜も眠れない。アカシジアで自死する人もいるだろう。それくらい辛いのに、医師は私にそれを「しばらく我慢してください」と言った。初めてそれを体験した私は気が狂いそうであった。入院していなかったら首を吊っていた可能性もある。それほど苦しかったのに、医師は「我慢しろ」である。その医師が無知だったわけではない。肩書きは副院長である。それも精神単科の比較的大きな病院の。そんなベテランが「我慢してくれ」だ。我慢出来る程度のものだとの認識なのだ。一体何人それで命を落としたのか、想像すると怖くなる。大げさに聞こえるかもしれないが、そういった辛さがあるのだ。幸い私はしつこく食い下がったので(辛すぎて)一週間で酷いレベルのアカシジアからは解放された。
実際にはリスクベネフィットを言われるだろうが、アカシジアやその他の重篤な副作用はリスクでしかないのだ。それを、精神疾患、薬剤の副作用を体験していない医師はほとんど軽視している。それどころか「原疾患が悪化する恐れがあるから我慢しろ」である。一理あるが、まずはアカシジアには副作用止めか減薬をすぐに試みるのが筋である。命に関わる副作用なのだから。
私は何度か病院を替えているが、どこの医師もそうであった。運が悪いだけなのか。
ある医師は抗精神病薬を推奨される量よりも多い量で私に処方した。その結果またアカシジアが起こり、数日我慢し、限界を迎えた私は病院に電話し、主治医はその日、休みであり、他の医師が電話で私に減薬をさせた。投与量は最小容量である。それでやっとおさまり、予約日に主治医に経緯を話すと、突然、あなたは私のスケジュールを守らないので薬は出さない、と、耳を疑うような言葉を吐いた。
私が「今の量で調子がいいのにですか」と問うと、それでも出さない、という。
医師の態度としてどうなのか。苦しんでる患者を見放すことができるというのは、裏には、想像力の欠如が伺えるのであった。この医師もまたベテランである。
体感してみればわかるはずで、こんな発言などできるわけがない。
この医師はこうも言った。「あなたの場合、気持ちによるところが大きい」不安感で死にそうだと訴えているのに、それも無視である。
私だって医師はプロだし、全てを委ねたい。だが、我慢できない事は我慢できない。根性論ではなく、そこには生命を左右する体験があるのだ。
このような事を言える医師は藪でしかない。言い換えれば犯罪者に近い。患者が命を落とす可能性がある。
これも問題ではあるが、患者が訴えるように患者の意思を尊重し、薬剤を与える医師の方がまだマシである。
精神科の問題点2
ベンゾジアゼピンの長期投与。
ネットに溢れている情報で、多くなってきた声、真実。
海外でのベンゾジアゼピン処方は、短期に留められる。長期に投与するのは日本だけである。やっと真実が徐々にこの日本で認識されるようになってきた。メディアも取り上げ始めた。自助会の活動も多くなってきた。世界的なベンゾ否定の動きが日本に、やっとやっと拡がり始めている。私や、今までの精神医療を受けてきた人々には遅すぎる吉報ではあるが。
そして重要なのは、その過程でかなりの数の人が自死をしてしまう可能性がある。あるデータによると、自死者の7割はなんらかの向精神薬を摂っていた、との報告がある。そのなかでどの程度の人々が向精神薬である、ベンゾジアゼピンによって死んでいったのか。
医師は今までこう言っていた。「今の睡眠薬や抗不安薬は、昔のものに比べ、安全です。これらの薬では大量に摂取しても死にません」
「大量に摂取しても死なない」それだけのことである。
事実はどうか。ベンゾジアゼピンは依存を作り、耐性ができる。耐性ができると量が増える。上限が設けられているので、ある量は越えられない。そうすると、例えば睡眠薬の場合、最初の量では眠れなくなり、量は多くなり、それでも耐性がついていけば、睡眠薬を飲んでも眠れなくなる。やめようとすれば、離脱症状に苦しむ。人によっては常用量依存、離脱を起こす。眠れないのに薬を飲む事になる。簡単に言うと眠れなくなるのだ。眠れないストレスは、場合によって死を選択させるほど強いストレスだ。想像すればわかるだろう。その状態で仕事ができるか、できなくなったらどういう状況に置かれるか。うつ病に罹るものもいるだろう。あるデータによればベンゾジアゼピンの長期投与はある種の人々に抑うつを生じさせるとある。
何が言いたいか。つまり「睡眠薬は大量に飲んでも死なない」が、「睡眠薬を飲んだ結果、睡眠薬が原因で自死する人々がいる」という事だ。
何が安全だ。こういった当たり前の事が認識され、日本以外の国ではベンゾは短期処方なのだ。
医師たち、製薬会社がこの事を知らなかったか?知らないはずがない。
彼らはバカではない。ただ、日本では認められているし、使用したほうが利益が出る上、利権構造上、使ったほうが自分たちが豊かになるからだ。それにベンゾジアゼピンに依存した患者は、薬を求める。誰もがその危険性に目を瞑っていたのである。
そして何より問題なのは、医師側からのインフォームドコンセントが無い事、説明が無い事だ。
「この薬物は依存性があり、耐性がつきます」
最初にこの説明があれば、依存にならずに済む患者も多かったはずなのだ。
他科との大きな違いはここにある。そして精神科医の本質がここにある。
精神科の問題点
一言でいえば、それは、仮説で成り立っているという事実。
それを裏付けるためのエビデンス。
これにも問題が指摘されている。製薬会社の操作である。
大抵の場合、データは薬剤を作成した製薬会社の都合のいい結果が公に示され、細かいネガティブな結果は無視され、操作される。(もちろん毒性などのデータが上回れば治験などの段階で中止される)それを証明するのが、全くの第三者側から差し出される研究データである。調べればいくらでも出てくる。例えば、第一世代と第二世代では錐体外路症状の出現頻度が変わらない、第二世代では陰性症状が改善されるとあるが、第一世代と比べて差異がない、などなど。
精神科領域は、言ってしまえば全てが手探り、ギャンブルである。
もちろん有用なエビデンスも沢山ある。それをもとに治療し、寛解まで至る人々も少なくない。結果論的に、精神科は精神科として、医療として認められている。
ただ、その裏には消えていった命がある事を忘れてはならない。
精神科医療は、多数を救う事ができるが、少数が軽視されている医療である。
或る日突然、精神疾患に罹患し、そして自分がその少数だったとしたら、あなたは何を思うだろう。
抗精神病薬6
断薬は半年間漸減し、しっかり減薬してから行った。
しかし離脱症状(或いは薬剤性精神病)が出てしまった。
とは言え、自死するような危険性がない限り、戻す事は考えられない。
抗精神病薬は色々な疾患に使われている。そして奏功する人々がいる事も事実だ。
事実、エビデンスとしては真の統合失調症の患者さんは、抗精神病薬のおかげで助かっている事を示している。
しかし健常者や、飲まなくていい疾患の者がそれを飲むとどうなるのか、いくつか研究がある。悪化するのだ。健常者が飲めば、怠くなり、眠気を生じさせ、止めた時に、脳のレセプターの変化により、精神病が引き起こされる。変化のない人も存在するらしいが、そういった人は稀だそうだ。脳内のレセプターが変化しない人々がいるらしい。
抗精神病薬5
減薬をしてどうなるか心配はあった。
多くのサイトには「統合失調症の患者が断薬をすると、7割再発する」
これは事実だと思う。あとの3割は、最初から誤診か、他の疾患か、
最悪の場合、計上されない結果に、つまり自死してる可能性が有る。
しかし一方では、海外の研究で、抗精神病薬は、長期に摂取してる群よりも
途中で止めた群のほうがQOLが高い、及び回復率が高い、とのデータもある。
どちらを選択するかは個人の判断に依る。私は不安ではあったが
統合失調症との診断にかなりの疑念を持っていたため、断薬を選択した。
健常者が抗精神病薬を摂ると、薬剤性精神病に罹る可能性があるのだ。
結果から言うと、感情が戻ってきた。感情鈍麻は薬剤の影響だったことは
断薬した結果、証明された。さらに、思考力も戻った。陰性症状と思われる
症状が減じたのだ。しかし意欲低下は未だにある。無気力でもある。
抗精神病薬は受容体に変化をもたらす。そしてこれらは仮説を基にしている
おおよそ、そう思えるということであって、現実に脳のレセプターがどう変化しているのか
客観的に知る術は今の所ないが、体感上少なくともかなりの影響を受けたことは
間違いないだろう。以前の自分とは違ってしまった。
ある研究では、これら脳のレギュレーションが元に戻るまで、半年から一年はかかるだろうとの事。まだ三ヶ月だ。