生。
病的な不安は、容易に凌ぐことはできない。
無に帰したい、その気持ちは、何が基に在る。
感覚は、そこに存在するから、存在するもの。
悲しみも喜びも、苦しみも。
死は生の続きだが、生は在ることを知覚させる。
いつでも消えることはできる。
だが、消えてしまえばそれで終わり。
苦難は、乗り越えられるかどうかではない。
それに、順応できるかどうかだ。
強い者が生き残るのではない。
変化に順応できた者が生き残るのだ。
私は生きよう。
その結果、何が齎されるか。
私は生きよう。
美しいモノを、再び眼にすることを信じて。
抗精神病薬4
ネットや書籍で、統合失調症、それに使われる薬剤、兎に角病に関わる全ての情報を収集しはじめた。
「あの異常な経験はなんだ」
「この不安感、希死念慮はなぜ起こる」
薬を飲んでいるのにこのような症状がなぜ起こるのか。
調べていくと、統合失調症患者では抗精神病薬で良くなるのが普通だ。
私は逆だ。悪くなっている。
「薬が合っていないのかもしれない」
いずれも処方量は維持量の最小量だ。
「これで良くなるかもしれない」
だがその期待は裏切られる事になる。
それどころか、所謂陰性症状らしきものが出てきた。
調べると、統合失調症では陽性反応の後に、陰性症状が起こるとある。
しかし別な情報もあった。それは健常者が抗精神病薬を摂ると、薬剤性の陰性症状様症状が出る、というものだった。
自分はこれに当てはまる。そう思った。理由は薬剤で異常な経験をした事、改善より
むしろ悪化したことだ。
そして私は危険を承知で自己判断で薬剤の断薬を目指し、減薬を始めることになる。
抗精神病薬3
閉鎖病棟に入院してる間は考えもしなかったが(ネットができなかったのも影響して)
抗精神病薬に関してはアカシジアしか自覚できる変化がなかったので、強い薬だとは思いもせず、処方されるがまま飲んでいた。無知は罪だ。
結局二ヶ月で退院した。
退院してからは何事もなく過ごした。精神的にも安定し、人間関係以外は全て元どおりに生活していた。
ところが、一週間後、突然パニック発作に見舞われたのだ。
今までに経験したことの無い異常な感覚。視覚的には仄暗くなり、内側からとてつもなく大きな不安感とともに、言い表せ無いような恐怖感、重力が全て内側に引き込まれる感覚。
「死んでしまう」そう思った。
そしてそれは10分くらいで収まった。が、その日から、不安感や希死念慮が出現し始めた。
これは一体なんなんだ、私はやっと抗精神病薬について情報を集め始めた。
薬のせいだと直感的に思ったのだ。なぜなら経験した発作が、明らかに異常すぎたからだ。あんな事は正常な感覚では味わえない。
抗精神病薬2
その日に医師から告げられた病名、統合失調症。
私は「なんだその病気は。でもまあたいしたこと無いだろう」
という無知にもほどがある程度の理解しかなかった。
その日の夜から抗精神病薬の投与が始まった。
ロナセンを12mg。夕食の後それを飲み、消灯時間には眠剤を貰い
すぐに眠った。ぐっすりと。
そして朝を迎えた。頭はクリアだった。怠さもない。
しかし自覚できる変化があった。
そわそわ落ち着か無い、なんだこれは、という感じだった。
アカシジアにはその後退院するまで悩まされることになる。
最初の一週間は副作用止めも出されず、鎮座不能で地獄を見た。
医師には訴えていた。「そわそわして落ち着か無い」
それでも副作用止めが出たのは一週間を経過してからだった。
そして副作用止めを飲むようになったが、結局効果はなく
さらに一週間を過ぎ、医師に辛さを訴え続けたところ
減薬となった。減薬も一気に4mgまで下げられた。
それでもアカシジアは完全には無くならなかった。
副作用止めも飲んでいたが、効果は相変わらずなかった。
統合失調症と診断されて。
去年の夏だった。私は人間関係で追い込まれ、抑うつ状態に陥り、某大学病院の精神科に逃げ込んだ。初診の診断は、うつ病。問診はトータル10分程度だった。
その後、人間関係は悪くなる一方。それに伴い精神状態も悪化。
家族の勧めもあり、逃げるように精神科閉鎖病棟へ入院した。
閉鎖病棟なら誰とも接触は無い。
問題がなくなることは無いが、一時的な休息が得られる。そう判断したのだ。
そしてそこで簡単な問診の後、ついた病名が、統合失調症。
入院先の主治医からその病名を宣告された時、統合失調症とは一体なんだと思うだけだった。私は全くの無知であった。
そして入院中は言われるがまま抗精神病薬を飲むことになる。
それが地獄の始まりだと知らぬままに。